2009/10/29

今年もこの季節に

09上野駅17番ホームにいます。

今年もまた、お仕事で東へ西へと、飛び回る季節がやってきました。

今日はまず、おなじみの北関東方面へ。

今日10月29日に関するもう一つのお話は、また夜にでも。

<お約束どおり追記>

もう一つのお話とは、11年前のこの日にあったことを、まず自分が忘れないようにここに記しておこうということです。

「再建基金」の管理委員会さえも、10年を節目にその活動を終えようとしています。そのかわり、あの秋から冬にかけて全国から寄せられた想いは、新しい座席というカタチとなってこれからの三ッ沢を見守っていくことになりました。

来年の春には、改修の完成とともにその経緯を伝えるプレートも、スタジアムのどこかに埋め込まれるはず。寄贈者名は「フリューゲルス再建基金管理委員会」。そう「フリューゲルス」という名前が、三ッ沢にね。

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2009/08/29

賛成多数で無事可決

09_2今日、この会場で直接投票をした人は17名。そのほかに、ハガキでの投票が約200票あって、管理委員会の理事会からの提案が無事可決されました。

わたしが出席したのは、正式には「フリューゲルス再建基金 定期拠出者総会」。

今回の最大の目的は、約4000万円残っている基金の使い道の決定と、1999年に設立資金の一部として横浜FCに融資した2000万円の返済方法の確認でした(詳しい決定内容を知りたい方は、委員会のホームページで確認してくださいね)。

規約では、この基金の運営期限は今年の11月に迫っていました。というより、これだけの金額を10年にわたって管理し、その有効利用のための折衝を続けてきた方々のご苦労を考えると、どこかで現実的な区切りをつけなければならないし、今はその大きなチャンスといえます。

その理事会がようやくこぎつけた、三ッ沢球技場の座席改修への基金拠出という提案に、わたしはなんの意義もありません。気になることといえば、その事実がどのようなカタチで三ッ沢に記され、他の拠出者やそれ以外の人の目に届くようになるかくらいでしょうか。

ただ、全国の約3500名から寄せられたお金には、その拠出者の数だけの思い入れが込められていて、そのどれか一つが正しいといったものではありません。それだけに、今回の決定が告知されてからも、まだなんらかの異議や返金の要求が出てくるかもしれません。

それらへの対応は、いましばらく理事会の方々におまかせすることになってしまいますが。それも含めて、いまのわたしには、関係者の皆さんへの感謝の気持ちしかありません。

それにしても、ここには書けませんが、最終的に日の目を見ることのなかったいろいろな企画があったのですね。そしてそのたびに、10年経っても崩れない壁が。

総会は、予定通りの1時間ですんなりと終了。建物を出てきたときはまだ4時で、夏の日差しが強く残っていました。でも、9年前と一番違ったのは、とても総会があったとは思えない人影の少なさと静けさ。出席者の皆さんの顔も、あのころと比べるとおだやかで。そんなところにも、あらてめて10年という時間の重みを感じていたわたしでした(ただ年取っただけか)。

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9年ぶり?

09JR石川町駅から徒歩5分。「かながわ労働プラザ」という施設の前にいます。

あのとき、全国から寄せられた再建基金の行く末を、見届けておこうと思ったからです。

この会場へとやって来たのは、わたし自身は9年ぶり。横浜FCのJ2昇格が目前となった2000年の秋に、支援する会とソシオ(いつの間にか二つになってた)それぞれの集会が連日ここで行われ、その両方に出席したとき以来です。

そもそも、6年前に引っ越しをしたわたしには、今回の総会の案内状は届いていませんでした。横浜FCカンケイの個人ブログと、そのあとに告知協力として横浜FCオフィシャルサイトに掲載された情報を見て(拠出を証明する10年前の振込用紙を探して)、自ら駆けつけることにしました。

はたして、何人くらいの拠出者(お金を振り込んでくれた人ですね)が、約6000万円の最終的な使い道の判断をくだしに来るのでしょう。とりあえず、会議室へと行ってみましょう。

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2009/03/20

引退試合についてのお知らせ

07山口素弘が、引退試合について自分のブログでお知らせをしていた。それは、とうぜん何があっても駆けつけるつもりでいたわたしには、かなりショックな内容だった。

まず結論として、引退試合は行わないということ。そして、その一番の理由が「フリューゲルス」という名前が使えないということだったからだ。

写真は、07シーズン最終節浦和戦。試合前エンゲルスとあいさつしていたこの試合が、結局山口の現役最後の公式戦になった。

この試合からすでに1年半経っているが、城のように翌々年のシーズン前に行った例もあるので、まだその可能性はあるのだろうと発表を待っていた。そして本人も、いろいろと準備は進めていたようだ。

もしかしたら新潟でやることになるのか。横浜FCのフロントに彼の実績の価値が理解されていないのではないか。などと、延び延びになっている理由を勝手に想像していたが。真相は、そのどちらでも、三ッ沢の工事事情でもなかったようだ。

山口自身も「フリューゲルス」というチームとその仲間へのこだわりを強調しつつ、“十年前に知らないところで取り交わされた、色んな諸事情が未だに生きてるって事なんだね。”と、さらりとその心情を伝えているが。その裏には、わけの分からんしがらみにそうとうな憤りがあったはず。

ただ、そのへんをあえて表に出さず。しかも、それなら引退試合なんかやりませんとしてしまうあたりが、見かけによらず(解説のときのキャラはあれは別人だから)頑固で執念深い?山口らしいといえばらしいんですがね。

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